活動の軌跡
四国生産性本部の主な歩み
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| 1962年 (昭和37年) |
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| 1964年 (昭和39年) |
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| 1966年 (昭和41年) |
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| 1967年 (昭和42年) |
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| 1968年 (昭和43年) |
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| 1970年 (昭和45年) |
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| 1971年 (昭和46年) |
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| 1972年 (昭和47年) |
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| 1973年 (昭和48年) |
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| 1974年 (昭和49年) |
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| 1976年 (昭和51年) |
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| 1977年 (昭和52年) |
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| 1978年 (昭和53年) |
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| 1979年 (昭和54年) |
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| 1980年 (昭和55年) |
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| 1983年 (昭和58年) |
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| 1984年 (昭和59年) |
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| 1986年 (昭和61年) |
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| 1987年 (昭和62年) |
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| 1991年 (平成3年) |
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| 1992年 (平成4年) |
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| 1994年 (平成6年) |
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| 1998年 (平成10年) |
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| 2000年 (平成12年) |
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| 2002年 (平成14年) |
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| 2003年 (平成15年) |
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| 2004年 (平成16年) |
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| 2005年 (平成17年) |
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| 2006年 (平成18年) |
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| 2012年 (平成24年) |
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| 2013年 (平成25年) |
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| 2014年 (平成26年) |
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| 2015年 (平成27年) |
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| 2017年 (平成29年) |
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| 2018年 (平成30年) |
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| 2019年 (令和元年) |
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| 2020年 (令和2年) |
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| 2021年 (令和3年) |
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| 2024年 (令和6年) |
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| 2025年 (令和7年) |
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(参考)年代別活動概観
創成の時代 (昭和30-40年)
時代背景
- 我が国経済は、経済の自立に向けた経済基盤の強化と労使関係の近代化が大きな課題であったほか、地理的な条件に恵まれず後進性が指摘されていた四国にとって、生産性運動による地域活性化は喫緊の課題となっていました。
- こうしたなか、地元産業人と関係機関の支援のもと、生産性四国地方本部(昭和47年7月1日に「四国生産性本部」に改称)が昭和31年4月21日に設立されました。当本部の発足は、日本生産性本部以外の地域生産性本部としては、中部、関西、九州に次いで4番目の設立となっています。
- この年は、経済白書に「もはや戦後ではない」とうたわれ、政治的には前年にいわゆる「55年体制」が成立し、春闘方式もスタートするなど、時代の大きな節目となりました。
- 我が国経済は、昭和30年代からの神武景気、昭和34年からの岩戸景気を経て、昭和35年には池田内閣が所得倍増計画を発表し、高度成長を遂げていくことになります。全国の景気動向と歩調を合わせるように、四国経済も、昭和30年代後半から合成繊維、紙・パルプ、鉄鋼等を中心に工業生産力が増大するなど、成長軌道を辿り始めることになります。
主な活動内容
生産性運動機関の創立と組織・事業基盤づくり
設立当初の最大の課題は、運動展開の基礎となる四国全域にわたる組織づくりにありました。このため、昭和31年6月の徳島県支部を皮切りに、各県に支部が設立され、講演会や映画会などを通じた幅広い啓蒙活動を通じて生産性運動の浸透を図る一方、海外視察団派遣や経営教育・指導、経営コンサルタントの養成、労使の協力関係構築など、今日の事業基盤の基礎がつくられました。
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生産性四国地方本部設立総会(高松琴参ホテル/昭和31年4月)
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海外視察団(中南米)の派遣(旧高松空港帰高時/昭和43年5月)
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経営コンサルタント養成基礎講座(高松国際ホテル/昭和43年8月)
拡大の時代 (昭和41-50年)
時代背景
- 昭和40年代の我が国経済は、前半と後半で様相が一変します。前半は、昭和43年に国民総生産が西ドイツを抜いて自由諸国第2位になりましたが、中頃から公害・エネルギー問題が顕在化する一方、昭和46年8月のドルショックや昭和48年10月の第一次石油危機が我が国経済を根底から揺るがすことになりました。
- 日本経済は、戦後最大の不況、インフレ、国際収支の赤字という三重苦の中で、昭和49年には戦後初のマイナス成長となり、高度成長時代は終わりを告げました。四国経済も、石油危機以降は相対的にウエイトの高い素材型産業を中心に停滞し、全国を下回る厳しい状況に追い込まれます。
- こうしたなか、昭和41年4月に創立10周年記念大会が開催され、人づくり、なかでも経営者と中堅幹部の育成、信頼に基づくパートナーとしての労使関係の確立、企業体質改善を強調した宣言を発表するなど、生産性運動は第二段階に入りました。また、経済成長と環境調和の視点から「人間尊重」「参加」が生産性運動のキーワードとなっていきます。
- 昭和40年代の運動は、企業だけでは解決できない問題にまで幅を広げ、社会的生産性運動への取り組みが求められるようになり、昭和48年11月に日本生産性本部の主導のもと、社会経済国民会議(初代議長 中山伊知郎一橋大学教授)が発足しました。同会議は、国民合意形成の場として、環境、資源・エネルギー、インフレなどの国民的課題に取り組みました。
主な活動内容
活発化する内外の交流と教育・調査研究活動の充実
昭和48年に初めて開催された西日本生産性会議は、以降、各本部の持ち回りで開催されることになったほか、海外視察団の派遣や東南アジアをはじめとする視察団の受け入れが始まるなど、相互交流が活発化しました。また、管理者向けの教育は内容の充実と体系化を図る一方、四国内の賃金事情をはじめとする各種調査・研究活動にも積極的に取り組みました。
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創立10周年記念大会(高松国際ホテル/昭和41年4月)
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生産性の船(日本生産性本部提供)
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第5回 四国中堅企業トップマネジメントセミナー(高松国際ホテル/昭和43年7月)
成熟の時代 (昭和51-平成2年)
時代背景
- 石油危機克服の道のりは、我が国経済が高度成長から安定成長に移行する苦難の道のりであり、不況下のインフレ(スタグフレーション)の克服は一筋縄ではいきませんでした。
- 企業は減量経営を行う一方、省エネ技術など新たな生産技術の開発にも取り組み、我が国の産業構造は、従来の「素材中心型」から「加工組立型」に転換しました。しかしながら、日本型システムの確立に伴う国際収支の大幅な改善は、経済摩擦を生むことにもなりました。
- 昭和60年9月の先進国蔵相会議における「プラザ合意」により、我が国経済は円高・低金利・原油安のメリットを享受して景気は内需拡大を継続しました。他方、大型景気による低金利でダブついた金が債権や株式、土地に向けられたことで「財テクブーム」が起こり、そのブレーキがきかずに「バブル経済」へと突っ走ることになっていきます。
- 昭和50年代の四国地域は、石油危機の影響等により景気は回復の歩みが遅く、産業構造の転換も進まずに低迷を続けましたが、昭和60年代に入り新たな発展の時期を迎えます。高速道路(四国縦貫自動車道:三島・川之江~土居)の開通、瀬戸大橋の完成、高松新空港の開港など、高速交通体系を中心とした基盤整備が進み、エレクトロニクス、バイオ、新素材など、先端技術産業の誘致をもたらし、企業立地件数は過去最高となりました。
主な活動内容
四国活性化に向けた運動の展開と事業の多様化
石油危機の影響等で低迷した昭和50年代に代わり、昭和60年代は「高度技術化」、「情報化」、「国際化」など新しい時代の流れに対応したキーワードを中心に活動を展開するとともに、事業内容も企業環境の変化に即して見直しと体系化が図られました。なかでも人材育成に関する教育内容に力を入れ、階層別教育や専門実務分野に関する内容の充実を図る一方、アジアを中心とした海外視察団の派遣や研修団の受け入れ強化、地域での労使協議の場づくり、施設見学や懇談など会員交流も積極的に行いました。
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創立20周年記念大会(高松国際ホテル/昭和51年6月)
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第5回 西日本生産性会議(高松国際ホテル/昭和52年7月)
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四国トップ・マネジメント・セミナー(徳島パークホテル/昭和54年2月)
変革・挑戦の時代 (平成3-令和2年)
時代背景
- 日本経済は、平成2年10月に株価が暴落してバブル経済が一挙に崩壊し、以降、景気は急速に後退しました。金融機関が多額の不良債権を抱えるなか、政府等による景気対策にもかかわらず低迷した状態が続きました。
- その後、景気は平成15年秋頃から回復局面に入りましたが、平成20年9月のリーマンショックに伴う世界同時不況の影響を受け再び失速することとなります。加えて平成23年3月11日に発生した東日本大震災による影響も加わり、平成3年からの経済の長期低迷は、「失われた30年」とも言われています。
- こうしたなか、平成24年12月に誕生した第2次安倍内閣では「アベノミクス」による景気浮揚策が講じられました。我が国はグローバル化の進展に伴う国際競争の激化、少子高齢化の進展、エネルギー問題等、政治・経済・社会のあらゆる面で数多くの構造的な課題を抱えており、生産性運動は企業レベルの生産性向上に留まらず、広く社会全体を視野に入れた展開が、強く求められるようになりました。
主な活動内容
新しい段階を迎えた生産性運動
これまでの既存事業に加え、新たに経営品質向上活動への取り組みや企業内研修の拡充、国際標準規格ISOの認証取得支援、経営診断、サービス介助士の資格取得支援、適性能力総合診断テストの実施、機関誌やホームページによる積極的な情報提供も開始しました。
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ベストプラクティス国内視察団の派遣
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サービス介助士の資格取得支援(体験学習の様子)
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21世紀生産性フォーラムで挨拶する千葉会長(東京都港区 ガーデンシティ品川/平成24年11月)
再起動の時代 (令和3-現在)
時代背景
- 令和2年からのコロナ禍による経済社会活動の制限が段階的に解除され、徐々に経済活動が正常化して緩やかな景気回復が続きました。また、世界的な原材料価格の高騰や円安の影響から、それまでのデフレ基調から一変し、コストプッシュ型のインフレへと経済構造が変化しました。金融政策も、マイナス金利政策から金利のある世界へと移行するとともに、令和6年以降の春闘では高水準の賃上げ率が達成され、実質賃金のプラス定着に向けた動きとなっています。一方で、世界的な地政学リスクや通商政策の変化により、予期せぬ景気減速や物価上昇の継続が懸念されています。
- 人口減少、少子高齢化に伴う労働力不足が一段と深刻化し、特に建設、物流、医療などの現場労働力の確保が困難になっており、社会の持続可能性を脅かす最重要課題となりました。企業は、労働環境の改善、DXを目的とする省力化、ソフトウェア投資を急速に拡大させており、今後、AIの活用による生産性改革が期待されています。
主な活動内容
生産性運動の原点回帰と未来へ向けて
本格的な人口減少と労働力不足時代を迎え、「人への投資」を通じた生産性向上の重要性が増しており、また、多様化する価値観の中で、働き方改革によるエンゲージメント向上、ウェルビーイング向上が求められています。これまでの生産性運動の根幹である「雇用の維持・拡大」「労使の協力」「成果の公正な分配」の生産性三原則の重要性は、これからも変わることのない普遍のものであります。
当本部では、近年、新たにオンラインセミナーの導入や採用支援ツールの拡充などを行いました。今後とも「人間尊重、不断の進歩に挑む」生産性運動の精神を大切にしながら、会員様のニーズに応える新たな事業やサービスの提供に努めてまいります。
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ハイブリッド形式(オンライン+会場)形式のセミナー
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西日本生産性会議2024(高松開催)(令和6年7月)
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生産現場改善研究会